CLIP'STYLEインタビュー

【森下芙久子】お客様に育てられた20年。ダイアナ妃に魅せられた中学生が手にした天職

JEAN CLAUDE BIGUINE 表参道店 店長/ディレクター 森下芙久子

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JEAN CLAUDE BIGUINE表参道 店長森下

1982年、フランス パリ16区でサロンをスタートさせたヘアアーティストのジャン・クロード・ビギン氏。たちまちトレンドに敏感なパリジェンヌの間で評判のサロンとなり、パリに60店舗、世界に350店舗を構える業界のリーダー的存在となっている。

「日本にいながら本場パリのサロンを体感できる」と日本人のファンも多く、現在、国内に7店舗ある『ジャン・クロード・ビギン』。その表参道店の店長として10年、美容師歴20年目を迎える森下芙久子に話を聞いた。

美容師20周年おめでとうございます!森下さんが美容師を目指したきっかけは何でしたか

人の髪をいじるのが好きで、友達に編み込みをやってあげるような子どもでした。でも、はじめて職業として意識したのは中学生の頃だったんです。ある日、ダイアナ妃の特集をテレビで観まして。もともとキレイな人ですが、ヘアメイクをする前と後で別人のように変わる様子に驚いたんです。ヘアメイクの力ってすごいなと。

親の助言もあって普通科の高校に進んだものの、たまたま同じように美容師を夢見るクラスメイトがいて。よく教室でお互いの髪を切り合うような学生時代を過ごしました。進路の話が出たときは、迷わず美容専門学校を選んでいましたね。

その後20年『ジャン・クロード・ビギン』で活躍されるわけですね

『ジャン・クロード・ビギン』に入りたいと思った理由は、私がヘアだけでなくメイクやネイルにも興味があったからなんです。『ジャン・クロード・ビギン』のように、ヘア、ネイル、アイラッシュ、エステとトータルビューティを提案するサロンが、当時はゼロに等しい状況でした。

ひとつのサロンでいくつものサービスを提供できるということは、あらゆるお客様のご要望にお応えできるということ。これは、20年経った今も私の理想とするスタイルです。別のサロンへ移るとか、独立するとか、そういったことを考えなかったのは『ジャン・クロード・ビギン』だったからでしょうね。

美容師を辞めようと思ったことはありましたか

まったくなかったわけではありません。辞めることで気持ちがラクになるのではと、なんとなく考えたことはありました。技術の道は険しくて、自分の思ったとおりにできないことが当然あるんですよね。「なんで私はできないんだろう」と落ちこぼれの自分を責めたことも。でもあるとき気づいたんです。「じゃあ、できるようになればいいじゃないか」って(笑)。

サロンの環境にも恵まれていたと思います。うまく進めなくなったときに先輩だけでなく、社長からアドバイスをもらったこともありました。美容師をやっていると必ずぶつかるのが技術への壁。技術不足への“不安”を“目標”に変え、悩みを克服していくんです。スタッフを育てる立場にある今、そんな経験も交えて助言をするようにしています。

美容師として20年目。今、どんなことを感じていますか

本当にあっという間でした。つくづく思うのは、お客様に育てていただいたなということ。ブローひとつとっても、持ちが良かったのか悪かったのか、どうしたら長く持つようになるかなど課題はたくさんあります。お客様からヒアリングし、指導もいただきながらスキルアップしていきました。

お客様がサロンにいるのは限られた時間。だからこそ、サロンにいる以外の時間にヘアがどういう状態だったのかを教えてもらうことは、技術を磨く上で欠かせないものでした。

美容師をやっていて良かったなと思う瞬間は、お客様が笑顔でお帰りになるときです。お客様の多くが、身だしなみを整える、気持ちを整える、あるいは大事な日の前にキレイになるためにサロンにいらっしゃいます。美容師って、とても重要な役目。

きっとこの先の20年も美容師をやっている、そんな気がしています。

フレンチスタイルの“予約不要”システムが画期的な『ジャン・クロード・ビギン』。お客様が自由に来店できる分、美容師には臨機応変な対応が求められる。どんなに慌ただしくなっても微笑みを絶やさず見事にさばく森下。「ほかに取り柄がないから」と謙遜するが、森下にとって美容師は天職という以外の何物でもない。

プロフィール

森下芙久子

JEAN CLAUDE BIGUINE 表参道店 店長/ディレクター

東京都足立区出身。国際理容美容専門学校卒業。森下の確かな技術はもちろん、穏やかで親しみやすい人柄にファンが多く、20年近く担当しているお客様も少なくない。