CLIP'STYLEインタビュー

【阿部亮輔】すべての人の人生に美容の力を。 目指すのは美容と福祉をつなぐエンターテインメント。

THE GLOBES OMOTESANDO 店長/ディレクター/ヘアデザイナー 阿部亮輔

CLIP'STYLEインタビュー THE GLOBES 阿部亮輔

2016年、表参道に誕生した美容室『グローブス』。スタッフの確かな技術力が口コミで広がり、曜日を問わず客足が途絶えない。オープンからまだ1年しか経っていないが、トレンドに敏感な若い女性たちはもちろん、鋭い審美眼を持つモデルやジャーナリストなど著名人も惹きつけるサロンである。

その多忙なサロンワークを支える店長の阿部は、美容業界トップサロン・SHIMAの銀座店で副店長も務めたベテラン美容師。12年のキャリアと経験から培われたスキル、どちらをとっても人の上に立つのには申し分ない。しかし、彼は「人の上に立つより、つねに前線でスタッフの意欲を支えていきたい」という。根っからのプレイヤー気質といえるだろう。

そんな彼が美容師になったきっかけをきいてみると、生まれたときからルーツは授けられていたようだ。

阿部さんのご家族には美容師が多いそうですね

母親、おば、いとこ、祖母が美容師をしていて、家筋がほぼ美容師なんです。中でも祖母の家は自宅兼サロンだったので、道具や髪を切る祖母の背中を見て育ってきました。生まれたときから美容が自然と周りにあったので、いま考えてみると僕が美容師になったのは血筋ともいえるんでしょうね。

でも、美容師になろうと決めたのはまったく別のきっかけがあったとか?

実は僕が生まれてから母は美容師を引退してしまって、幼い僕の散髪は床屋さんでした。だから小学生になって初めて美容室に行ったとき、美容師さんの仕事姿があまりにも新鮮でかっこよくって。立ち振る舞いやカットの仕方とか、もう忘れられなくて。

たかだか1時間くらいで人の見た目をこんなに変えられるのか!って、子どもながらに衝撃を受けました。当時の卒業文集にも将来の夢は「美容師」って書いてましたからね(笑)。

子どものころからずっと美容師を目指していたんですね!

そうですね。美容師以外の道を考えることはなかったです。母は同業なので応援してくれていたんですけど、建築業で職人気質だった父には「美容なんて男がやるものじゃない」ってずっと反対されていました。ただ、逆にそのことが「認めさせてやる」っていう自分の原動力になりましたね。

僕は手先が器用な方ではなかったので、専門学校では同級生という名のライバルがたくさん(笑)。だから、追いつき追いこせって感じで、周囲から良い刺激をもらえました。僕は家筋の影響もあって、何かひとつの道を追求し続ける姿に強く憧れていて。その憧れからひとつのことをやり切りたい性分でもあったので、とことん頑張れましたね。

そのときの一番の親友が今でも一番のライバル。一緒に働いたことはないんですが、つねに彼の存在を感じて技術に磨きをかけています。

卒業後は、業界トップサロン『SHIMA』で12年経験を積んだそうですが…

最初はできないこともわからないこともありすぎてつらかったけれど、とにかくやって自分のものにするのが楽しかったですね。技術を追い求めていく中、マネジメントなど店舗運営にも参加してほしいって話もされていたんですけど…とにかく髪を切りたかったから、そんな余裕も時間もないってずっと断っていたんですよ。

でも、サロンワークを続けていくうちに僕は人の上に立ってプロデュースするより、二番手の立場で誰かを支えるために動く方が得意だなと。自分の活かし方が何となくわかったんですよね。

それに僕自身もともと口ベタだから、意欲があっても上手く表現できない人の痛みも知っていて。そういう人知れず頑張っている人たちの支えにもなれたらいいし。やるなら誠実に、責任を持ってスタッフを支えようと最終的に副店長ならぜひ、と引き受けました。

12年もいた『SHIMA』を辞めたのはなぜ?

『青空美容室』という、東日本大震災による被災地でのボランティアカットに参加して『グローブス』代表の森泉と出会ったことがきっかけですね。

ちょうどその頃に、ぼんやりと悩んでいたんです。デザイン力も売り上げも業界トップの『SHIMA』にいるうちに、良いヘアデザインをつくりあげるのは当たり前のことになった。次第に自分の中に「今、自分がやっている美容がすべてじゃない。もっと広く美容を知って、もっと人の役に立ちたい」って気持ちが芽生えてきたんです。

そんなタイミングでのボランティアカットだったので、さらに視界が開けたんですよね。当時は仮設住宅がまだなくて、カットするにも、髪を濡らすのは霧吹きで、座る椅子はパイプ椅子。なのに小学生から90歳のおばあちゃんまで、たくさんの人に本当に喜んでもらえたんです。

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それから声をかけて会話をしたり、子どもを抱っこしたり、肩もみしたり…美容をきっかけにして、人のために自分はこんなに何かできるんだともわかって。こんなふうに美容と福祉をつなぐエンターテインメントをしたいって強く想いました。

その想いを森泉に話してみたら、すんなりわかってくれて。彼と一緒にやっていけば、かたちになると思ったら、いてもたってもいられなくなっちゃいましたね。

心機一転『グローブス』に来てどうですか?

入店してから1年は店長として『グローブス』のお客様が満足する施術を提供できるよう、自信を持ってスタッフが仕事できる流れを構築しました。2年目を迎えた今は福祉、訪問美容、介護を学んで、“会いに行く美容師”になる準備をしています。

最近ではダウン症や視覚障がい、車いすの方、パラリンピックの選手など障がいを持っている方が出演するファッションショーのヘアメイクもしています。自分らしく生きる姿って障がいを持っていても、もちろん健常者であっても素敵ですよね。彼らが発するメッセージの一部分でも、僕らが美容を通じて一緒に表現していけたらいいなと思っています。

それが阿部さんの理想の美容師像なんですね

そうですね…寝たきりになったり、歩けなくなったりしてお客様がサロンに来れなくなったとき、何もできないのはスタイリストとしてカッコ悪いじゃないですか。お客様がどんなに歳を重ねてもどんな状況になっても受け入れることができて、美容を提供できる。それが僕が求める理想の美容師の姿ですね。

それこそ地球の裏側でも仕事ができるくらい(笑)、どんなときもどこにでも飛んで行きたいです。人生には七五三、成人式、結婚式、葬式などセレモニーが色々あって、それぞれの記念写真だけではなく遺影までも、すべての場面にヘアメイクがあって。それ全部やりたいですね!

長く美容師をやっていると、ハサミだけじゃ物足りなくなって経営をやる人もいるけど、僕はやっぱり人の上に立つのは得意じゃない。スタッフでもお客様でもその人の進む道が大変な道ならば、自分が前線に立って歩けるように先導していきたい。だから“美容師”として長く生きて、美容と福祉をつなぐエンターテイナーとして美容の力を広めていきたいですね。

阿部の人生にはいつもそばに美容があった。美容とともに喜び、悲しみ、そして痛みを感じ、自分が成長してきたからこそ、誰かの人生にも美容が力を与えて幸せにできることを確信しているのだろう。

相手が来れないなら、自分が会いに行く。相手が動けないのであれば、自分が動けばいい。彼のまっすぐなスタンスは、福祉と美容をきっとまっすぐに繋いでいく。

プロフィール

阿部亮輔

THE GLOBES OMOTESANDO 店長/ディレクター/ヘアデザイナー

青森出身。とにかく技術を磨くことにどん欲で、できない、わからないことがあるとワクワクしてしまう成長意欲の塊。初めての客にも「満足させるから、絶対3回は髪の毛を僕にあずけてください」というほど、相手のイメージをくんだ “似合わせ”を作り上げていくのが得意。ジェーン・バーキンは彼にとって永遠のミューズ。ジェーン・バーキンの髪型をつくらせたら誰にも負けないという。

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